時は江戸時代会津を治めていた蒲生氏郷が亡くなり、徳川家光が後継者を藤堂高虎に選んだ。すると高虎は「加藤嘉明の方が適任でございます」家光は意外な答えに驚いた。二人は犬猿の仲で有名であったのだ。「何故嘉明なのじゃ。そちとは不仲であろう」「不仲は個人の小事。天下の大事を見誤ってはなりませぬ」以後二人は深い親交を結んだそうな