多昧象王の施し

昔々、多昧象王は人々に金銭を与えることを考え付いた。
ある日、一人の青年が現れた。
「王様、私は家を作りたいのです。」
「それではここにある宝を一掴み持って行きなさい」
青年は宝を掴んだが、また元に戻して席に戻った。
「どうしたのじゃ。宝を取らぬのか」
「家は建つのですが、家が出来れば妻も欲しくなりました。それには足らぬと思い手放しました。」
「それでは二掴み持ってきなさい」
青年は宝を掴んだが、またしても元に戻した。
「どうしたのじゃ」
「家と妻が手に入れば、子どもも欲しくなります。それには足らぬと思い手放しました。」
「それならば三掴み持ってきなさい」
青年は宝を掴んだが、またしても元に戻した。
「どうしたのじゃ」
「子どもが生まれても、その先の子育て、私たちの老後、その先の孫などを思い始めるといくらあっても足りません」
「ならばすべての宝をもっていくがよかろう」
王の想いとは裏腹に、青年はすべての宝を捨て去った。
「どうしたのじゃ」
すると青年は光り輝き仏陀の姿に変わった。実は仏陀であったのだ。
「この世の宝をすべてもったとしても、愁いを断つことは出来ぬ。むしろ増すばかり。欲は尽きることは無い。金銭のみの施しはむしろ愁いを呼ぶ。わがものという執着を離れ、離れさせる道こそがより良い道である」
そして仏陀は偈を説いた。
  珍宝を積むをえて 高い天に到り
  このように世間に滿つといえども
  仏道をたずねるには及ばない
  不善の像が善のごとく見える
  それは愛して愛なきに似ている
  苦をもって楽像とする
  狂夫はこれを厭う
王はこれに感激し、戒を授かったのでございます。

法句譬経より

saikohji
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