閻魔の鏡

 オリンピック開催前に、数名の委員が辞任又は解雇となった。
 いずれも過去の言動、ネタが差別をし、人権を害するものであったとの理由からである。週刊誌やSNS等でも非常に叩かれ、他の仕事まで失う事態となっている。
 やってはならないことをしたとはいえ、一体どこまで過去を遡ればいいのだろうか。叩いている人たちは、自分はどうなのだろうか。少なくとも私は、人を叩ける程立派に生きてきてはいない。かといって彼らを擁護しようとも思わない。された本人は永遠にそのことを覚えている。
 この一連の騒動を見ていると、現代社会は閻魔大王の前にさらされている様に思える。閻魔大王は死者を裁く裁判官の役割を勤めている。そして生前の行いを吐かせ、本人が隠したり、忘れていたり、罪とは考えていないことを、浄玻璃(水晶)の鏡に映し出すのだ。
 ここで大切なのは、この閻魔大王の鏡は罰するためだけの物ではないという事だ。罪を反省させる道具でもあるのだ。
 現代社会はどうだろうか。罰する事ばかりを考えてはいないだろうか。それは閻魔大王より、恐ろしいことを行っているのではないだろうか。どちらが地獄なのだろう。

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