迷いの世を繰り返すのは

以前、ある研修会で僧侶の先生方が議論をされていた。迷いの輪廻を繰り返す因はは、煩悩があるからなのか、阿弥陀仏の本願を疑うからなのか。
この時は阿弥陀仏の本願を疑うからだと落ち着いた。正信偈にもそのように書いてある。
ところが、信疑決判を改めて勉強すると、阿弥陀仏のすくいを疑ういかんで輪廻を繰り返すのでいいのであろうかと考えるようになった。輪廻を繰り返すのはあくまでわが煩悩ではなかろうか。それを御存じですくいたもう阿弥陀仏の本願のはずである。
たとえば、病気になり薬を服用して治ったとする。もし、薬を飲まず、治らないときに病気の原因をそのせいにするだろうか。違うはずである。原因は病気菌や体質のはずである。薬という縁をいただいて病気が治るのである。
迷いを繰り返す因を持ち続ける私を、阿弥陀仏のすくいをご縁をいただき、すくわれるのです。

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