絵解きやシネマ法話に思う

絵解きを聞くととてもわかりやすく絵の説明をしてくれる。これはこれで本当にありがたいのですが、この絵の中に入らせてくれる絵解きがあるといいのになと思う。聴衆が、親鸞聖人の御絵伝であれば、その時代にいる感覚にさせてもらえるような絵解きが出てくることを願うのです。

シネマ法話というものがありますが、時間の大部分を映画の解説で終わることが多いのです。元々シネマ法話というのは、法話をするにあたり、仏教を知らない人でも身近な観点からお慈悲なりを味わっていただくために映画を用いてみようという試みのはずです。いはば手段なのです。ところが、シネマ法話の多くは映画を語ることを目的としてしまっているのです。あくまで映画は手段であって、べつに大部分を解説に使わなくても、大事な部分だけをしっかりとまとめて、「ほらこの映画のここの部分は、阿弥陀如来の慈悲と一致するんです」とすんなり合法に持ち込めるようになるべきです。例えば20分の持ち時間で15分映画の解説に費やしているというのは、時間がとてももったいないのです。

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