大正、明治と画家として活躍した矢野橋村氏がおられる。画家を志していたが、昼間は軍事工場で働いていた。しかし、左手が機械にはさまれ、失ってしまう。画家の師が見舞いに訪れると、橋村は「おかげで画家に専念が出来る」と、画家に専念することになるのである。何が悪で何が善なのかは他人が決めることではないのである。阿弥陀如来は煩悩悪なるものをそのまま悟りへと導かれる。これを転悪成善というただ、このままではいいのではない。そのままでいいと言われるのである。