檀家制度の是非

江戸時代初期の禅僧盤珪さんが、地元の有力者からの支援でお寺を建てたことがあった。その有力者達が檀家になりたいと願うと盤珪さんは固辞した。理由は、檀家制度を取ると、檀家である者とそうではないものの区別ができてしまうからである。
私は実際、とあるお寺を一時的に預かったことがある。その時の報恩講という行事でお弁当を出すのだが、門徒ではない人がお参りに来て弁当を食べたことにたいして、既存の門徒がこれに疑問をもった。私は、いろんな方が聴聞することがお寺の第一の務めですとそれを諭したことがある。お寺へのお参りに区別があってはならないのである。敷居は低ければ低ければいいのです。

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