教誨

刑務所などで、受刑者に教えをさとす人を教誨師と言います。戦前までは公務員扱いでしたが、戦後は国から手当てが支給されることはなくなりました。無給ということも相まって、仏教界では規模の大きな東西本願寺が中心となり活動をしています。

 戦後、教誨師として東条英機氏などのA級戦犯の処刑に立ち会ったのが、本願寺派僧侶花山信勝師です。GHQの要請により、比較的若い僧侶を求めていた師に役割が与えられました。最初は念珠を持つことも拒否をしていた東條氏も、罪を悔いつつ、阿弥陀如来の慈悲に照らされていることを慶び、

「さらばなり有為の奥山けふ超えて弥陀のみもとに行くぞうれしき」

と辞世の句を読みました。

 私は仏教学院での授業で教誨師の先生が話を聞く機会がありました。「相手に更生を願うならば、こちら側がまず、許すという前提がなければならない。罰するだけでは更生はない。これは刑務所だけではありません。会社でも家庭内でも同じです」と。

saikohji
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