境界

境界
 前回「境」について書かせていただきました。我々の世界を構築しているものは、我々の認識で成り立っているというものでした。私の認識で成り立ちますので、千差万別です。見えるものは同じでも違う認識で感じているのです。このドラマは面白い、面白くない。これも認識によって違います。
 今回ご紹介の「境界」は、その認識の範囲のことを指します。仏教では「きょうがい」と読みます。範囲といいましても、心の範囲もありますので、ここからここまでと見え
 そして、私の境界と人との境界が触れ合うところを縁と呼びました。現在の家にはなくて、昔の家に有ったもの。それは縁側です。そこでは、土地の境界線は消えて、人と人と結ぶ大事な場所でした。
 私が作り上げた境界が妨げとならず、私に届けられる阿弥陀如来の慈悲の光を、無碍光といいます。煩悩に迷う私の認識で見ることは困難ですが、それが妨げとならないのです。

saikohji
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