カーリングとマイク

カーリングの声の掛け合いが面白い。作戦ややりとりが聞こえるから見ているほうにも没入感を与える。
声をマイクで拾うようになったのはトリノ五輪からだそうだ。
競技の人気を高めるといった効果もあった一方で、愚痴も聞こえてしまうというデメリットもあったそうだ。
しかし、選手も多くは肯定的に受け入れている。
「感情にさゆうされない目指すべき人間になれる」
「もうひとりの自分がいてきをつけようと心掛けられる」
マイクをつけるということは、言葉の端々に気を配るということ。自分を一度客観的にみるということ。
いつでも見られているという感覚は仏さまに手を合わせる感覚と一緒である。仏さまにいつも見られていると意識すると、頼もしさと恥ずかしさが共存するようになる。慚愧と歓喜が一体な真宗のみ教えである。

saikohji
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