一日一法話 8 1月 2022 見られているという感覚 先日、葬儀があり、親族の中に中学時代の先生がおられた。直接の接点はなかったが、私には多大な影響を与えて下さった方だ。葬儀の間はまさかおられるとは知らず、火葬の待ち時間でそれがわかったのである。いつどこで誰が見ているかわからないからこそ、自らの姿勢を正すことが出来る。「お天道様がいつも見ているからね」… 続きを読む
一日一法話 7 1月 2022 自己開示 組織を運営するにあたって大切なことは、何よりも自己開示である。自分の能力を見せるよりも、自分の弱さを見せたほうがコミュニケーションは潤滑に回る。親鸞聖人は、自らを愚禿と言ったり、地獄行の者だと言ったり、と自らの弱さを徹底的に認められた。だから、現代でもこんなにも親鸞聖人は人を引き付けるのであろう… 続きを読む