日記 17 2月 2022 声の旧字体 声の旧字体は、聲である。声に耳が付くのだ。声が耳に届いて声となる。厳しい言葉、指摘、讒言が耳に届かなくなると声ではなくなる。聞く耳を持たぬものを鬼という… 続きを読む
一日一法話 16 2月 2022 宗教体験 宗教体験というと神秘的に聞こえるが、親鸞聖人の宗教体験は、自分は救われるはずのない愚か者で地獄行きのものであると自覚する事であった。そして、そのような身だからこそ阿弥陀如来は捨て置かないという気づきであった。… 続きを読む
一日一法話 15 2月 2022 雪を喜ぶ子ども 喜ばない大人 昨日は雪が積もる予報だった。学校も通学の安全を懸念して10時登校となった。朝起きると雪は積もっていない。悲しむ子ども 喜ぶ大人である。いつからそうなったのであろうか。同じ雪でも認識によって違う。我々は認識によって成り立っている。認識に働きかけるのが仏法である。… 続きを読む