日記

一向 一日一法話

一向

戦乱の時代、浄土真宗の事を一向宗と呼ばれるときがあった。極楽往生を願い、阿弥陀仏をひたむきに思う宗だからだ。この一向のいただき方は、こちらから阿弥陀仏を思う方にいきがちであるが、阿弥陀仏の方が私らをひたむきに思われているといただいてもいいのかなと思う今日このごろである。…
見る人は見ている 一日一法話

見る人は見ている

見る人は見ている人を見るし、見ていないことをも見る。見ない人は、見ているのも、見ていないことも見ない。『ウダーナヴァルガ』初期仏教経典の一説だが、この前半を阿弥陀仏はと主語を置きたい。見る事も見ないことも見ているのである。すべて御存知である。そのうえですくおうとされたのだ。もったいないもったいない …