一日一法話

法話の鍛錬の為、一日一つ法話を作ることにしました。

南無阿弥陀仏が届く 一日一法話

南無阿弥陀仏が届く

阿弥陀仏の本願には至心と説かれている。心が至ると。ここを親鸞聖人は、名号南無阿弥陀仏が至るといただかれた。こちらがなにかすうrのではなく、念仏として届いているのだと。南無阿弥陀仏は、仏の心が届いている証拠である。…
目の向き 一日一法話

目の向き

あるお参り先での話。その家にはプラムの木がある。高さ数メートルはある。九十を超えるおじいさんが、プラムを取ってくれると梯子を出してきた。家族みんなは危ないからと大反対。本人は平気だと怒っている。どう贔屓目にみても危ない。目は、外向きについている。自分を見るようにはできていない。仏様の眼は、反開き。内…
念仏がでません 一日一法話

念仏がでません

念仏は、阿弥陀如来のはたらきである。「念仏がでません」と悩むひとは、自分の意志でまずは念仏をしてみることだ。それでは自力だという人がいるかもしれない。それは違う。その念仏が私の力で行い、これで仏になるのだと思うならば自力である。しかし、「阿弥陀仏のはからい」であったと気が付いたならば、それは他力であ…