一日一法話 24 10月 2024 凡夫の為の光 凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとえにあらわれたり。かかるあさましきわれら、願力の白道を一分二分、ようようずつあゆみゆけば、無碍光仏のひかりの御こころにお… 続きを読む
一日一法話 23 10月 2024 諸事所持せず 本来無一物なれば、諸事において実有我物のおもいをなすべからず。一切を捨離すべし。『一遍上人語録』すべてのものは私が所有しているものではない。仮の者だ。我々がと思わんことだ。でも離れられん。それを見越している阿弥陀如来だ。… 続きを読む
一日一法話 22 10月 2024 真宗僧侶に時々ありがち・・・ 浄土真宗の僧侶が飲酒などをSNS等で発信されるかたがいる。残念だ。開き直りというやつだ。親鸞聖人は、いずれの行も及び難き私をおすくい下さる阿弥陀如来を憑みにされた方だ。そこに皆惹かれるのではないか。きけばきくほど頭が下がるみ教えのはずである。… 続きを読む