難行苦行は不要の例え 一日一法話

難行苦行は不要の例え

盤珪和尚の弟子が聞いた。「師は修行も悟りもいらないとおっしゃいます。なぜでございますか。」和尚は答えた。「たとえば、何人かの旅人が高い山を登っていたとしよう。のどが渇いてきた。一人が谷川へ水を求めに行った。ようやく水を持ち帰り、仲間にも分け与えたとしよう。すると、仲間も水を探してきたものも同じくのど…
4/12 はじめの一歩卒業式 一日一法話

4/12 はじめの一歩卒業式

12日の法座は第2期はじめの一歩卒業式を行いました。コロナでの休校期間を経て3年越しの卒業式。卒業証書と卒業記念品を贈呈させていただきました。第3期は、阿弥陀経の学びを深めていく予定です。…
妄念を払うという事 一日一法話

妄念を払うという事

ある人が、盤珪和尚にいった。 「妄念を払えばまた妄念が沸き起こってきます。どのようにして納めたらいいでしょうか。」 すると盤珪和尚、 「妄念を払うという事は、血で血を洗うようなものだ。始め後は払えても、後の血で汚れるのだ いつまでたっても汚れは除かぬ。取らず嫌わず、起こるがまま、消えるがままにするの…