何のために何をするのか

目的と手段は明確に考えたほうがいい。
目的を失った手段は、ともすれば数字だけにとらわれる世界に陥る。YOUTUBERが良い例だ。再生回数を多くすることを目的としたものには、問題となる者もたくさんある。あくまでYoutubeは手段でなければならない、

監事研究の第一人者白川静氏が、立命館大学で教授をしていた。学生運動の最中にも、常に白川教授の研究室だけが夜遅くまで明かりがついていた。
晩年の白川氏曰く、「後20年はかかる」といいながら、研究は続いた。

白川静氏は、目的を見失わなかったのです。

阿弥陀如来の目的は私をすくいとること。これを疑いなく受け入れることを旨とします。この視点から見ると、何回念仏を称えなくてはならないと、回数にとらわれることは無くなるのです。

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