旧訳・新訳
2025年1月26日
仏教を学ぶ上でややこしいのが、同じ物事を表すのに違う言葉であることがたくさんあるということです。浄土真宗のご本尊阿弥陀如来にしても、阿弥陀如来、無量寿如来、不可思議光如来と様々です。これは、古インド語のアミターを音写した阿弥陀と意味を訳した無量寿・不可思議光があるからです。
日本の仏教は、インドから中国に渡り、中国で漢字に変換されたものが伝わっています。漢字に変換するのにも色々あって、音をそのまま漢字にあてはめたもの。意味で翻訳したものがあります。たとえば南無は、元の原語のナマスを当てはめたもの。これを意味で翻訳すると帰命となります。
音や意味の違いがあるにも関わらず、さらに翻訳の時代によっても変わります。極楽と安楽、衆生と有情。区分としては西遊記の三蔵法師のモデルとなった玄奘から新訳とよび、鳩摩羅什から新訳までを旧訳とよび、それ以前を古訳といいます。それにより同じ仏や人物でも言い方が変わるのです。学ぶのは難しいですが、また面白いのです。