供養

先日、火葬場での待ち時間にお斎をいただいた。施主が個人の供養になり、精進落としますので、にぎにぎしく召し上がって下さいと言われた。
その料理は精進料理ではない。精進していないのに精進料理という不思議さ。さらに、個人に対して供養となるはずもない。平気で殺生をしているのだから。
そもそも供養とは自分が食して利することはない。尊敬する対象に、真心で行う事を供養をいうのです。
精進落としという言葉を使うとき、本当に精進していますか。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です