人は病気に患ることを虞れるのではなく、その治療手段がないことを虞べきである。元東京高裁判事半谷恭一 病気とは、風邪などの病気だけではない、政治、団体、どこでも通用する言葉である。いまの本願寺派は治療手段がない状態になってしまった。勧学がしっかりしていないからだ。