驕慢
2023年7月21日
あるお参りの時でした。そこの家には、すももの木があります。齢九十を超えた人生の先輩が梯子を持って、太い枝にかけ、昇ろうとしていました。足元はふらついています。誰がどう見ても危ないのです。子や孫らが危ないといって、人生の先輩を梯子から下ろしました。人生の先輩は、「余計の心配をしおって」と怒っておられました。
人間の眼は、外を見るように配置されています。自分を見る為ではありません。外の事は見えても自分の事は、よっぽど気を付けないと見えないのです。自分はできるはずだ、自分には関係がない、自分には起きるはずがないと思い込むことを「驕慢」といいます。おごりの煩悩です。
正信偈には、邪見驕慢悪衆生(おごり・たかぶり・よこしまの私)と記されています。手を合わせることは、外向きの眼を、自分に向ける機会であること。念仏を称えることは、常に阿弥陀仏に呼びかけられていること。最近、人から注意をされていない人は、特に気を付けましょう。