ふと念仏をしている

桐谷順忍師著『親鸞はなにを説いたか』より

 たとえば、自分はふと合掌し念仏している。これは私の罪悪性からみれば、自分自身からでてきたものではなさそうだ、どうしてであろうかと疑問をおこすとき、如来の光明のお育てによるのだ、名号のあらわれだ、仏力他力によらなければ合掌したり、念仏したりするはずがない、という心情にならざるをえないのでありましょう。

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