機法一体と仏凡一体

機=わたしは煩悩具足の凡夫であると気付かせていただいた仏のおこころ
法=煩悩さかんなものをかならずすくう仏のおこころ
この機と法は、どちらも阿弥陀如来のおこころである。私が築き上げていくものではない。

仏=ほとけのおこころ
凡=煩悩の衆生
これらはもともとはひとつではない。もともとひとつではないが衆生がすくわれなければ

仏とはならないと誓われた阿弥陀如来のおはたらきによって、凡夫が仏とさせていただけるのである。仏の側で語られるものでなければならない。凡夫の立場で仏凡一体は説いてはならないのである。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です