大空に包まれる

バイクに乗っているときである。その日は雲一つない真っ青な空であった。いつもは空を分けてみていた。大空と大地、空と自分。分けてみていた。
バイクでどこまで走っても真っ青な大空は変わらなかった。どこまでいっても真っ青だった。
その時、初めて感じたのだ。私は大空に包まれていると。曇りの日もあるけれど、私は大空に包まれている。空と私は一つに溶け込むようであった。
正信偈に

摂取心光常照護(せっしゅしんこうじょうしょうご)すくいの光は常に照らしているので、
已能雖破無明闇(いのうすいはむみょうあん)迷いの闇はすでに破られているのですが、
貪愛瞋憎之雲霧(とんないしんぞうしうんむ)(むさぼ)りや怒りなどの煩悩(ぼんのう)が、雲や霧のように、
常覆真実信心天(じょうふしんじつしんじんてん)常に真実の信心の空を(おお)っています。
譬如日光覆雲霧(ひにょにっこうふうんむ)しかし、例えば雲や霧が日光を遮っていたとしても、
雲霧之下明無闇(うんむしげみょうむあん)その雲の下は、暗闇ではないように、如来(にょらい)の光は照らし続けます。

とある。わたしはいつも如来の大悲に包まれているのである。そんなバイク日和であった。

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