オンライン授業

ここ数日、子供がオンライン授業になった。
授業の前と後に少し自由時間がある。そこで子供たちは自分の持っているものを見せ合ったりしている。

「スイッチ持っている人」「○○持っている人」

小1だからはしゃぐのも無理はないかと見ている。

人間は何かと確認したがる。持っているのか持っていないのか。
浄土真宗では信心をどのように頂くかが重要な問題となる。
信心を持っているかどうか確認するとおかしくなる。我々では確認できるようなものではないのだ。それをどうしても確認したがる。そして持っている持っていないで差別をしたがるのである。それはまだ無明の闇の中なのだ。

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