倶会一処

 「倶会一処(倶會一處」と刻まれているお墓をみたことはありませんか。阿弥陀経に出てきます。できる限りその前後から載せてみます。

また舎利弗(しゃりほつ)よ、極楽(ごくらく)国土に生まれた人々は皆(ぶつ)に成ることができる。その中には、迷いの世に還り、迷う人をすくおうとされる方がいる。その数は計り知れない。舎利弗(しゃりほつ)よ、これを聞いた人々は、極楽(ごくらく)浄土(じょうど)に生まれたいと願うがよい。なぜかと言えば、極楽(ごくらく)の人々と同じところで会えるからだ。(倶會一處舎利弗(しゃりほつ)よ、その国に生まれるには、自分で積み上げる善では到底無理である。舎利弗(しゃりほつ)よ、念仏(ねんぶつ)の教えを聞く人々は、阿弥陀仏(あみだぶつ)が私の為に(ぶつ)となられ、功徳(くどく)南無(なも)阿弥陀仏(あみだぶつ)にこめられ、その念仏(ねんぶつ)は仏の喚び声であったと、日にちに限らず、こころから戴くならば、その人の臨終において、阿弥陀仏(あみだぶつ)が多くの聖者(しょうじゃ)と共に現れてくださる。その人がいよいよ命が尽きるとき、心穏やかに阿弥陀仏(あみだぶつ)極楽(ごくらく)浄土(じょうど)に生まれることができる。舎利弗(しゃりほつ)よ、私はこれらの利益(りやく)があるから説いているのだ。

阿弥陀経の勉強をはじめの一歩で行っています。是非。

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