鳩摩羅什
2024年10月27日
法事などで読まれることが多い『阿弥陀経』を漢訳した鳩摩羅什 (三四四 ~ 四一三、一説 三五〇 ~ 四〇九)のご紹介です。彼はインド人の僧侶であった父と亀茲国の王族である母との間に生まれ、七才の時に母と共に出家しました。彼は始め、カシミールにてアビダルマを学びましたが、後に大乗に転向します。
亀茲国に戻ると大乗仏教を説きます。その名は知れ渡るようになりました。母がもう一度一人で仏教を学びにインドへ行く際に、鳩摩羅什に言いました。「仏教の深い教えを中国に伝えなさい。それはあなただけができることです。」鳩摩羅什は「私は彼らにつたえることができるならばいのちをも惜しみません。」といい、母は安心してインドへ行きました。
三八四 年、亀茲国に進軍した前秦の将軍呂光によって捕虜となり、長安に連れて行かれる途中で前秦が滅びます。呂光は涼州で拠点を構え、鳩摩羅什は十五年間、涼 州の地に幽閉されました。しかも、呂光によって女犯を強要され、破戒僧となってしまいます。人間の醜さと戒を破った自らの愚かさを深く自覚した時期でした。この経験はその後のお経の訳に大きな影響を与えます。 四〇一 年、前秦の残党を滅ぼした後秦の姚興によって 長安に迎えられ、『法華経』『維摩経』『阿弥陀経』などの多くの経典や仏教解説書を漢訳しました。その数、七四部 三八四 巻にも上ります。鳩摩羅什の翻訳は流麗で、翻訳の歴史において画期となりました。また、鳩摩羅什は漢訳ばかりでなく、経典の講義などを通じて中国仏教界に大きな影響を与えました。鳩摩羅什によって初めて中国人は大乗仏教の本当の意味を知ったと言われます。仏教の歴史にとって鳩摩羅什は無くてはならない存在だったのです。