鬼門
2022年5月31日
我が広島カープは、交流戦が鬼門である。交流戦を五割以上で乗り切れば何とかCSシリーズが見えてくるのだが、果たしていかに。
今回の「鬼門」は、冒頭では、苦手なもの、よくないことが起きそうな場所という意味で使いました。
「鬼門」の起源は、古代中国の神話地理書が元です。そこに鬼神が出入りする場所として丑寅の方角、東北と記されているのです。
日本では陰陽道、神仏習合などで独自に変化をします。都を建設するに当たり、北東に社寺を置くのが通例となりました。京都では比叡山延暦寺、鎌倉では五大堂、江戸では寛永寺が有名です。
明治以降、近代化とともに鬼門は迷信であると位置づけられていきます。真宗では、もともと「忌む」ということを気にしませんでした。「門徒もの知らず」という、真宗門徒を揶揄する言葉がありますが、これは「門徒物忌み知らず」として、占いや迷信を信じてこなかった風習があります。 ところが、現在でも鬼門を気にされる方はおられます。ここのお家は変な所に玄関があるな、と感じたらおそらく鬼門を避けた結果なのでしょう。
お世話になります。
「真宗」では東本願寺や渉成園に鬼門欠けが見られますね。
文化庁が作成した東本願寺の紹介ページでは
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/115877
「寺域の鬼門となる北端部は折曲がりに隅を欠き取るように配され」と記載がございますね。
また、「浄土真宗」では、丹波篠山市のホームページを見ると
https://www.city.tambasasayama.lg.jp/photo_history/2/bunkazai_hubutu_huzoku/tabasasayamakankoupoint/tanbasasayamagojusantugi/13911.html
尊宝寺は改宗後に「篠山城の築城に際し、鬼門除け並びに重要拠点として、」との記載がございますね。
私と致しましては「鬼門は迷信である」と言われたから、「鬼門は迷信」と信じるのは早計かなと考えております。
現代においても世間で「半信半疑」である事象は、現代では容易に自宅等で大量の文献を(例えば国会図書館オンライン等で)精査できるのですから、あくまでも多くの文献を精査し、事実調査を自分なりにした上で「迷信である」と認識するのが妥当かなと思います。
私と致しましては、宗祖や誰々さんがこのように言ったから、(自分での事実調査無しに)信じる、という事では、盲信の域を出ないかなと思います。
親鸞聖人が六角堂で聖徳太子による夢告を受けたのが事実であろうかどうかは、昔から古典以降、大量に頻出する他の寺社の者や民間の者が受けた「夢告」の事例を調べて、その結果として親鸞聖人の前に聖徳太子がご示現なさったのは事実、だと判断するのが適切かなと思っております。
いつもご苦労様です。
ご指摘またご教授ありがとうございます。東本願寺の塀について初めて知りました。ありがとうございます。
鬼門につきましては、もう一度調べなおして更新したいと思います。
どうぞまたご教授のほどお願いいたします。