難しいと言えるという事

法話などをなんでもわかりやすくすればいいという風潮は、いかがなものかと思われます。
もちろんわかりやすく考えることは大切です。(矛盾してますが)
どうしたらたとえ話等で伝えられるかを考えることも大切です。
しかし、正信偈や三部経のなかで、「難しい」と記されているところがあります。
浄土真宗のみ教えは行き易いのだけれども、凡夫が素直にうなずけれことは甚だ「難しい」と言われます。
この「難しい」と言われるところに、感動があります。お釈迦様は阿弥陀経の最後に「これこそまことに難しい事であった」と言われて話を終えられます。
「難しい」ことを「難しいなぁ」といえることは、わかりやすいというよりも真に近いと思われるのですがいかがでしょうか・

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です