宗教の表現は謂われを知ることが大切である。浄土真宗においては、名号南無阿弥陀仏の謂われを知り、それを頂くことが大切である。阿弥陀如来が凡夫の私をすくはんと、仏となり、それが声となり私のところではたらき、南無阿弥陀仏と私のところで口からこぼれてくださる。私の称える念仏が、仏の喚び声であるといただくことが要である。キリスト教では、十字架の謂われを知ることが大切であるのとそこは一緒である。