「お(ぼう)さんは修行(しゅぎょう)が大変ですよね」

よく言われる質問の一つです。今回の「(ぎょう)」は様々に意味がある言葉です。一般に「(ぎょう)」というと、冒頭のように修行(しゅぎょう)が思い浮かぶのではないでしょうか。一日の行動を著す行住坐臥(ぎょうじゅうざが)の「(ぎょう)」は歩くという意味があり、修行(しゅぎょう)を「(ぎょう)」といい、行いを「(ぎょう)」といいます。また諸行(しょぎょう)無常(むじょう)とあるように私も含めたさまざまな形成されたものを「(ぎょう)」といいます。

 これだけ「(ぎょう)」にはたくさんの意味がありますので、この「(ぎょう)」がどの意味で使われているのかを気を付けなければなりません。
 最初の質問の修行(しゅぎょう)という意味の「(ぎょう)」は、(ぶつ)になるための「(ぎょう)」のことです。念仏を称える宗派への非難の言葉として「行」がないということがありました。ちょうど大河ドラマの時代です。この返答として親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)は「(きょう)(ぎょう)信証(しんしょう)」を著されました。煩悩(ぼんのう)具足(ぐそく)の身で行じがたい私の為に、法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさつ)の時に(ぎょう)成就(じょうじゅ)され阿弥陀仏(あみだぶつ)となられた。そして我が口元へ南無(なも)阿弥陀仏(あみだぶつ)(ぎょう)功徳(くどく)もお届けされた。私のところで(ふつ)がはたらいておられるといただくことが要です。

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