苦行

苦行

 これをしなかったら何か特別な力を得る気がする、ということを考えた経験はありませんか。子どもの頃に、横断歩道の白いところを踏まないとか、高速道路でつなぎ目のガタンというところで足を上げるとか、電車で電柱の時に足を上げるとか。何かしらのルールを定め、心身を痛めつけ、それを実行していくことを突き詰めた人たちがインドにいました。そういった人たちが集める苦行林もいくつかあったようです。

 お釈迦様も、悟りを開かれる前に苦行をおこなわれました。その姿は仏像にもなっており、あばらが浮き出て、頬はこけ、目はくぼんでいます。お釈迦様は、これでは悟りは開けないと苦行を止めます。一緒にすごしてきた伴は、堕落したと否定します。後に、お釈迦様が悟りを開いた後に、この伴に初めて説法をします。これを初転法輪といいます。

世の中には二つの極端がある。出家者はそれに近づいてはならない。何が二つの極端なのか。一つめは、欲と愛欲や貪欲をよしとすることで、これらは下劣かつ卑賤、つまらぬ人間のやることで、無意味で無益である。二つめは、自分に苦難を味わわせることは、苦痛であり、無意味で無益である。

こうして極端な道ではなく、中道をお説きになるのです。

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