残念なことを聞いた。トップが法話を聴聞していないということ。法話をきくということは、阿弥陀如来の願いを聞き、わが身のほどが知らさせ、今ここがすくいの真っただ中であるときくということだ。その活動体が南無阿弥陀仏である。法話を聴聞していない人が、法話を作っているのだ。なかなか残念な話である。