罪業深重を今の人にわかりやすく言うとなんだろうかと考えていた。法事や毎月のお参りの最後に末代無智の御文章を読むことがあります。そうすると罪業深重で涙を流される人がたまにおられる。その人は罪を犯したから泣いておられるのか。違う。その人は、自らのあさましさに気付かれたからだ。あさましさで表現すると今の人により伝わりやすいのではないかと考えたのだがどうであろうか。そしてそのあとの。かならず弥陀如来はすくいましますべしの「かならず」が心に響くのである。