罪はどうなるのか

浄土真宗において、というか宗教全体において罪はどうなるのかという問題があります。
罪は色々と定義できるが、ここでは社会的罪ではなく、人間そのもの、煩悩具足の凡夫、煩悩を離れることができない凡夫とします。

阿弥陀仏は煩悩を抱えた私をすくうと願成就されました。では、煩悩の罪はどうなったのであろうかと真宗学でもずっと問題でした。これは、用滅相存とか法滅機存等分類方法があるのですが、なかなかこれを主張した先達が面白いのでいずれ節談説教にできればと考えています。

親鸞聖人の地獄一定すみかぞかしをいただけば、法滅機存説の立場です。これは少しずつお話しできればと思います。

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