空也
2023年11月30日
杖を持つ僧侶の口から六体の阿弥陀仏が出ている像を見たことはありませんか。いつぞやCMでもよく流れていました。その像のモデルが今回ご紹介の「空也上人」です。
日本における浄土教の興隆には、七高僧の源信和尚は欠かせません。源信和尚が『往生要集』を書き、比叡山でひたすら浄土教を説かれました。一方、源信和尚より少し先に生まれ同時代を生きた空也上人は市中でひたすら念仏を称え、在野の人々に 念仏を弘められました。
空也上人は九〇三年に一説では醍醐天皇の第五皇子として誕生されました。二〇歳の頃、尾張の国分寺にて出家し空也と名乗られました。この当時から南無阿弥陀仏と称えつつ、道路や橋などを修繕する社会事業を行っていました。三十六歳で京都に移ります。托鉢乞食をして、南無阿弥陀仏と称えながら貧しい人々に分け与えました。
この市中を歩く姿が現代に伝わる空也上人像です。