空也

杖を持つ僧侶の口から六体の阿弥陀仏(あみだぶつ)が出ている像を見たことはありませんか。いつぞやCMでもよく流れていました。その像のモデルが今回ご紹介の「空也(くうや)上人(しょうにん)」です。

 日本における浄土(じょうど)(きょう)の興隆には、(しち)高僧(こうそう)源信(げんしん)和尚(かしょう)は欠かせません。源信(げんしん)和尚(かしょう)が『往生(おうじょう)要集(ようしゅう)』を書き、比叡山(ひえいざん)でひたすら浄土(じょうど)(きょう)を説かれました。一方、源信(げんしん)和尚(かしょう)より少し先に生まれ同時代を生きた空也(くうや)上人(しょうにん)は市中でひたすら念仏を称え、在野の人々に 念仏を弘められました。

 空也(くうや)上人(しょうにん)は九〇三年に一説では醍醐天皇(だいごてんのう)の第五皇子として誕生されました。二〇歳の頃、尾張の国分寺(こくぶんじ)にて出家し空也(くうや)と名乗られました。この当時から南無(なも)阿弥陀仏(あみだぶつ)と称えつつ、道路や橋などを修繕する社会事業を行っていました。三十六歳で京都に移ります。托鉢(たくはつ)乞食(こつじき)をして、南無(なも)阿弥陀仏(あみだぶつ)と称えながら貧しい人々に分け与えました。

 この市中を歩く姿が現代に伝わる空也(くうや)上人(しょうにん)像です。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です