穢れ

次のような立札を通夜(つや)葬儀(そうぎ)の際に見たことはないでしょうか。

浄土(じょうど)真宗(しんしゅう)ではお清めの塩を用いません」

これは、いつからかはわかりませんが、浄土(じょうど)真宗(しんしゅう)では死を(けが)れとは見ないので、塩で清める必要もなく、(みそぎ)をすることもないのです。
 ある時、知人の葬儀(そうぎ)にお参りに行った時です。その家は神道(しんとう)でした。神道(しんとう)においては、死は(けが)れです。どうやって葬儀(そうぎ)をするのか興味がありました。祭壇の中央に鏡を置き、その前に棺はありません。棺はどこにもないのです。実は、棺は表ではなく、祭壇の後ろに安置されています。参拝者は、祭壇を周って裏へと周り、棺を拝見するのです。

 このように神道(しんとう)仏教(ぶっきょう)では、死の受け取りに違いがありますので、誰かが亡くなると神棚(かみだな)には白い紙を張ります。

仏壇(ぶつだん)の扉は閉めた方がいいですか」 とよく聞かれますが、その必要はありません。死は至極当然の事であって、死を受け入れていくことが仏教(ぶっきょう)の教えですので、仏壇(ぶつだん)の扉は開いたままで大丈夫なのです。

saikohji
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