穢れ
2025年6月27日
次のような立札を通夜や葬儀の際に見たことはないでしょうか。
「浄土真宗ではお清めの塩を用いません」
これは、いつからかはわかりませんが、浄土真宗では死を穢れとは見ないので、塩で清める必要もなく、禊をすることもないのです。
ある時、知人の葬儀にお参りに行った時です。その家は神道でした。神道においては、死は穢れです。どうやって葬儀をするのか興味がありました。祭壇の中央に鏡を置き、その前に棺はありません。棺はどこにもないのです。実は、棺は表ではなく、祭壇の後ろに安置されています。参拝者は、祭壇を周って裏へと周り、棺を拝見するのです。
このように神道と仏教では、死の受け取りに違いがありますので、誰かが亡くなると神棚には白い紙を張ります。
「仏壇の扉は閉めた方がいいですか」 とよく聞かれますが、その必要はありません。死は至極当然の事であって、死を受け入れていくことが仏教の教えですので、仏壇の扉は開いたままで大丈夫なのです。