私が浄土に向って生きているのかどうか

善導大師は、

浄土対面してあひ忤(たが)はず 無量楽(むりょうらく)
弥陀の摂(しょう)と不摂(ふしょう)とを論ずることなかれ 願往生(がんおうじょう)
意(こころ)専心にして回(え)すると回せざるとにあり 無量楽

(『般舟讃(はんじゅさん)』『註釈版聖典(七祖篇)』七三三頁)

といっておられます。この文意は、<私は阿弥陀さまに救ってもらえるのだろうか、それとも救われないのだろうか>と、心配したり悩む必要はない。それよりも、私がお浄土にむかって生きているかどうか、今の生き方が大切なことだ、というお示しです。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です