疑網

パソコンで「ぎもう」と入力し変換すると「欺罔(ぎもう)」と出てきます。世間ではなんの違和感がないと思います。ところが、浄土(じょうど)真宗(しんしゅう)僧侶(そうりょ)が見れば違和感があります。「ぎもう」の漢字は「疑網(ぎもう)」だろうと。

 このコーナーをやってよかったと思える瞬間です。僧侶側が当たり前だと思っていたことが実はそうではなかったのです。「ぎもう」と広辞苑で引きますと、

欺罔(ぎもう)…①あざむくこと②事実を偽ること 欺罔行為

とあります。「疑網(ぎもう)」の方は出てきません。仏教(ぶっきょう)辞典(じてん)で「疑網(ぎもう)」を引きますと

疑網(ぎもう)…疑いが張り巡らされて自己を束縛し自由を奪うさまを、網の目にからまれる様子に譬えたもの

とあります。疑いが自分を苦しませているのです。近頃はいろいろと疑わなければならない時代です。知らない電話番号は詐欺ではないか、このメールは詐欺ではないか、これは最初は安いけれど後で高額請求が来るものでないか。

 疑わずに、玄関のカギは開けっ放し、財布を落としても届く…古き良き日本はちょっと前まであったのです。

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