疑網
2022年4月27日
パソコンで「ぎもう」と入力し変換すると「欺罔」と出てきます。世間ではなんの違和感がないと思います。ところが、浄土真宗の僧侶が見れば違和感があります。「ぎもう」の漢字は「疑網」だろうと。
このコーナーをやってよかったと思える瞬間です。僧侶側が当たり前だと思っていたことが実はそうではなかったのです。「ぎもう」と広辞苑で引きますと、
欺罔…①あざむくこと②事実を偽ること 欺罔行為
とあります。「疑網」の方は出てきません。仏教辞典で「疑網」を引きますと
疑網…疑いが張り巡らされて自己を束縛し自由を奪うさまを、網の目にからまれる様子に譬えたもの
とあります。疑いが自分を苦しませているのです。近頃はいろいろと疑わなければならない時代です。知らない電話番号は詐欺ではないか、このメールは詐欺ではないか、これは最初は安いけれど後で高額請求が来るものでないか。
疑わずに、玄関のカギは開けっ放し、財布を落としても届く…古き良き日本はちょっと前まであったのです。