求道

求道

 「求道」をどう読むかによって、宗教が変わります。「キュウドウ」と読むとキリスト教、「グドウ」と読むと仏教です。

 キリスト教の「求道」は、キリスト教を信仰したいと考えている、洗礼前のことを指します。

 仏教の「求道」は、仏道を求めていくことを指します。仏道を求めるとは、仏となり、人々をすくうということです。例えるなら、自らが太陽となって、あたりを照らし暖める様なものです。自らが仏となるかどうかが、「キリスト教」や他の宗教との大きな違いです。

 この「求道」は、お盆参りで読むことの多い『讃仏偈』に出てきます。『讃仏偈』とは、阿弥陀如来が仏となる前に、師を讃え、覚悟を誓われます。

供養(くよう)一切(いっさい)()(とう)諸仏(しょぶつ)不如(ふにょ)求道(ぐどう)(けん)正不却(しょうふきゃく)

すべての仏方(ほとけがた)供養(くよう)するよりも私が阿弥陀仏になる道を ひるまずに歩む方がよりいいものとなります。

『讃仏偈』の最後には、たとえ地獄の苦しみを味わおうとも、皆をすくうために阿弥陀仏となると誓われて終わります。お盆参りで是非探してみてください。

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