明恵上人と北条泰時

明恵上人と言えば、専修念仏を非難したことで浄土系では有名な御方です。このお方さえいなかったら、法然聖人や親鸞聖人は流罪にならなかったかもしれない。ともすれば、怨みの対象になりかねないお方なのです。

ところが、よくよく調べると実に明恵上人は自らに厳しいお方であり、ひとつ芯の通った尊敬すべきことのおおい魅力的な御方であったこともわかったのです。

いくつかあるなかに、北条泰時とのエピソードがあります。

承久3年 後鳥羽上皇が権力復興の為に北条泰時追討令を出した。後に承久の乱という。しかしながら、すぐに上皇方は破れ散り散りに逃げた。栂尾にも逃げ込んできてそれを明恵上人はかくまった。
北条方に発覚し、明恵上人は捕らえられ、泰時から直接取り調べを受けた。すると明恵上人は少しも恐れず
「栂尾の高山寺は、仏教の霊地であり、殺生はできない。動物も人も命を助ける場所である。敗残兵でもそれは関係がない。
釈尊も捨身飼虎の故事があり、出家が人をすくうことはあたりまえである。それができなければ我が首をはねよ。私は命よりも、出家者の責務を全うしたい。」
この態度に感銘を受けた泰時は明恵上人に師事を買うたのです。

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