旧訳・新訳

 仏教(ぶっきょう)を学ぶ上でややこしいのが、同じ物事を表すのに違う言葉であることがたくさんあるということです。浄土(じょうど)真宗(しんしゅう)のご本尊(ほんぞん)阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)にしても、阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)無量(むりょう)寿(じゅ)如来(にょらい)不可思議光(ふかしぎこう)如来(にょらい)と様々です。これは、古インド語のアミターを音写した阿弥陀(あみだ)と意味を訳した無量(むりょう)寿(じゅ)不可思議光(ふかしぎこう)があるからです。

 日本の仏教(ぶっきょう)は、インドから中国に渡り、中国で漢字に変換されたものが伝わっています。漢字に変換するのにも色々あって、音をそのまま漢字にあてはめたもの。意味で翻訳したものがあります。たとえば南無(なも)は、元の原語のナマスを当てはめたもの。これを意味で翻訳すると()(みょう)となります。

 音や意味の違いがあるにも関わらず、さらに翻訳の時代によっても変わります。極楽(ごくらく)安楽(あんらく)衆生(しゅじょう)有情(うじょう)。区分としては西遊記の三蔵法師(さんぞうほうし)のモデルとなった玄奘(げんじょう)から新訳(しんやく)とよび、鳩摩羅什(くまらじゅう)から新訳(しんやく)までを旧訳(くやく)とよび、それ以前を古訳(くやく)といいます。それにより同じ(ぶつ)や人物でも言い方が変わるのです。学ぶのは難しいですが、また面白いのです。

saikohji
  • saikohji

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です