教信沙弥
2023年4月25日
仏教用語ではないのですが、親鸞聖人の生き方の参考になった方ですのでご紹介させていただきます。
教信沙弥は、奈良時代末期から平安時代初期を生き抜かれた方です。若い頃は奈良の興福寺で仏教を学びました。その中で、念仏の教えに導かれ、奈良のような都市では、念仏に集中できないと播磨の加古で隠遁生活を始めます。庵を建て、生け垣を作り、西の方には垣を作らず、西海に沈む夕日を見ては、南無阿弥陀仏を称える生活を営んでいました。生計は田畑を手伝って、御礼に念仏を称えてもらう。街道を往来する旅人の荷物を運び、御礼に念仏を称えてもらう、という生活であったため、極貧生活であったようです。生活は貧しかったのですが、心は阿弥陀仏のお慈悲でいっぱいでありましたので、豊かでした。妻もいて、子もいたそうです。
親鸞聖人は、このような生活を送っていた教信沙弥を尊敬していました。越後へ流罪になられた時に、聖人は言われました。「私は、僧籍を剥奪されて、越後に流罪となりました。僧侶ではなく、俗人の証として姓を『禿』とします。しかし、念仏に支えられた生き方をしていますので、僧でもなく俗でもない非僧非俗になります。」と。