行者

行者(ぎょうじゃ)とは、道を歩む者から発展して修行をする者という意味で用いられます。戒律(かいりつ)を守り、執着(しゅうちゃく)する心を離れ、煩悩(ぼんのう)を抑制していき、仏陀(ぶっだ)になることを目指すものを行者(ぎょうじゃ)というのです。

 また、同じ漢字でも「あんじゃ」と読むと、意味が変わります。あんじゃは寺院(じいん)で雑務をする人の事を指します。同じ漢字で意味が近いところで変わるとややこしくなりますね。

 今回は「ぎょうじゃ」の方で記していきます。仏教(ぶっきょう)は、出家(しゅっけ)をする人以外にも広まっていきました。在家(ざいけ)といいます。普段の生活をしながら仏法(ぶっぽう)を信奉していく人の事です。そこで問題が出てきました。煩悩(ぼんのう)を離れられず、殺生(せっしょう)をして生活をしている我々は仏陀(ぶっだ)となれないのではないかと。そうして、大乗(だいじょう)仏教(ぶっきょう)運動が起こります。仏教(ぶっきょう)が更新されたのです。その中で、阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)をすくいの中心へ据えた浄土(じょうど)(きょう)が生まれます。本来ならば、我々がしなければならない(ぎょう)は、すべて阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)成就(じょうじゅ)してくださった。その功徳(くどく)が名となり声となって私へ南無()阿弥陀仏(あみだぶつ)と届けられていると他力(たりき)の浄土(きょう)親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)によって開かれました。

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