難行苦行は不要の例え

盤珪和尚の弟子が聞いた。
「師は修行も悟りもいらないとおっしゃいます。なぜでございますか。」
和尚は答えた。
「たとえば、何人かの旅人が高い山を登っていたとしよう。のどが渇いてきた。一人が谷川へ水を求めに行った。ようやく水を持ち帰り、仲間にも分け与えたとしよう。すると、仲間も水を探してきたものも同じくのどを潤すことができるだろう。しかし、、仲間が疑ってこの水を飲まなければのどを潤すことはできないのだ。
 私は自らでは仏になることはできぬ。そのもののために、仏は私に仏の水を届けてくださっている。それを疑わずに頂くばかりなのだ。」
と答えたそうな。違う宗派の話だけど。十分浄土真宗の他力の例えに通ずる話である。

saikohji
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