小さな達成感

私は、仏教の紙芝居を創作している。
題材がお経であれば、漢文を和訳し意訳し、英訳もしている。
台本におこし、絵を描く。そして、録音編集し「西光寺チャンネル」に流す。
合間合間に行うので、3カ月に1本ぐらいのペースで配信している。
これでもかなり忙しいのだ。そしてお経だけでも数が多く、使える比喩もたくさんあるので一生かかっても終わらない。
しかし、わたしはこれがうれしいのだ。一生かかっても終わらず、一生できることを見つけたからだ。
ところが、チャットGPTのようなものが発達すると、あっというまに翻訳し台本にし、絵を描くことも編集だってできるだろう。1日もあれば十分完成するのではないかと思われる。
私がこれから記すのは、べつにAIやチャットGPTを批判するのではない。使いこなせば大幅な戦力となることはわかる。
ただ、自分で絵をかいたり翻訳をしたりといった達成感はおそらくないのだろうと思う。あの、最後の絵を描き切った時の解放感は味わえるのだろうか。
便利になるという事は、こうした小さな達成感が失われているのではないだろうか。
現代の若者が自己肯定感が薄いと言われるのも、こうした小さな達成感が得られにくいのも一因としてあるのではないだろうか。

saikohji
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